カテゴリー別アーカイブ: ぐっさんの生活

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夕方、ももを連れて玄関を出ると、こんな夕焼けが広がっていました。

あれこれ考えず、無理しないで。
そんな声が聞こえるような気がします。

逝ってしまったももの友だちを想って。

鎌倉の「ことり文庫」さんへ出かけてきました。
鎌倉から江ノ電に乗って、七里ヶ浜の先、極楽寺で降りて、とても静かな町を稲村ヶ崎の方へ少し歩いた場所にあります。

仕事のこと、そして人間関係、友人の病気のこと、いろんなことがあって、近頃なんだか気持ちがざわざわと落ち着かなくて。だから電車に揺られて出かけてみたくなりました、海も見たかったし。

「ことり文庫」さんに出かけた理由は、もうひとつ。病気の友人とその友人の大切な人に聴いてもらいたいなぁと思ったCDを買いに行くこと。
「また あした」と優しく語りかけるように唄ってくれるううじんさんの歌声を聴いてもらいたかったから。

ううじんさんのCDは、もう手に入りませんか?と直接ううじんさんにメールでお尋ねしたら、まさかのお返事を頂き、どこかにまだ置いてくださっているお店があるかもしれないと心当たりをご自身で探してくださり、そして「ことり文庫」さんへ。

ううじんさんからそのお返事を頂いてからことり文庫さんにうかがうまでの間、メールやお電話で取り置いて頂けるかお願いしてみようかとさいしょは考えていたのだけれど、なぜだかしばらくするうちにそんなこと、しなくてもいいか、無くなっていたらそれはそれで。。。と思うようになりました。
誰かがううじんさんのCDを手に取って、聞いてみたいと思ったら、是非連れて帰ってやってくださいって、とっても優しい唄だから。そしてまたそれを誰かに聞いてほしいと思うようになるんだろうなぁって。なので、いいかなぁーそれで。。。と思うようになっていました。

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「ことり文庫」さんは、こどもたちの本屋さん、小さなお店です。ご自身で選ばれて、これを読んでもらいたいなぁと、お母さんと子供たちを想って並べておられる絵本だとすぐにわかります。だからううじんさんのCDも、そんなふうに置かれていたんだと、きっと同じなんだなぁと。

ううじんさんのことを僕に紹介してくださった人の話をし、実は、ううじんさんをことりさんに紹介されたのもその人だと言うことを知り、人や想いや願いは、何かそんな風につながっていくもんなんだなぁと。

長谷寺の紫陽花が、終わったかどうかそんな時季だったけれど、なんだか可笑しくなるほどそれはもう大勢のひとが鎌倉には居て、またあの混んだ江ノ電に乗って戻るのはちょっと嫌だなぁーと思ってことりさんに帰り道を伺ったら、このまま稲村ヶ崎へ抜けて国道沿いを鎌倉まで私なら歩きますと言ってくださり、きっぱりとそうしよう!と思い、鎌倉まで小一時間の道のりをそれはそれはすてきな気持ちで歩きました。

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歩けば少し汗ばむ陽気だったけれど、海風は、少しひんやりとして心地良くて、すぅーっと優しい気持ちになっていきました。

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amazonのレコメンドにまんまと引っ掛かって、今朝、遙々イギリスから届いたもの。
ネットで注文すれば、翌日には届いてしまう勢いの近頃の買い物だけれど、さすがに海を渡ってくるとなると一週間もかかってしまった。でも、こんなふうに届くまでの時間を待つのも悪くない。
それにしても、このボックスがなんと二千円ちょっとで買えてしまうんだから、今風に言うなら「超、すげぇー!」としか言いようがない。
二十歳のころ、当時、南海ホークスのホームスタジアムだった大阪球場に、わくわくを通り越してドキドキしながら会いに行った二人の日本公演。大阪のど真ん中、ミナミの街の喧噪の中、夕暮れにこだまするアートの声は、まさしく「天使の歌声」そのものでした。あれから30年、夢のようで、奇跡のようなあの日を過ごした二十歳の青年も、いまや五十路のおっさんになってしまいました(笑)
今夜は、食器棚の奥から出てきたもらい物の泡盛でも飲みながら、しばしあの日にタイムトリップなどしてみようかと・・・。

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あの日からちょうど二年。
思えば、今年はなんて暖かいんだろう。二年前は、歯がゆいほど春が遅かったのに・・・。
僕らが住むアパート前の道路は、あの日、豆腐のようにゆらゆらと揺れた後、液状化の水が湧き水のように噴き出して、駐車していた自動車の車輪が埋まってしまうほど沈んでしまいました。いま、やっとその復旧工事を終えようとしています。
テレビは、あの日のこと、そして被災地の現状を一日中ずっと流しています。何か変わったようで、実は、何も変えられていないんだなぁと思う。
やっぱり今日は、ただ静かに、大切な人のことを思って、過ごせればいいかなぁ。

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イタリア語で「黒い犬」という名前のカフェで、まさしく黒い犬の看板犬ネブちゃんに出会いました。

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ネブちゃんは、福岡の保健所で保護されていた子で、5年前のねぶた祭の始まる日に今のご主人のところへ・・・だから「ネブ」ちゃんなのだそう。

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もものシャンプーを待つ間に日本橋近くでお昼ごはんを食べる場所を探していて、偶然通りがかって寄せてもらったお店が、カフェ・カーネネーロ。自転車とわんこの本がたくさん並んだ小さな小さな居心地のいいカフェでした。今度は、ももを連れて出かけてみます。

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帰るときには、外まで見送ってくれたネブちゃん。
とっても人なつっこくて、優しくて、賢い目をした女の子です。

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ふと聞きたくなったから。
今どきだし、ユーチューブで拾って聞いてみた「スピーチバルーン」
30年も前なんだなぁ・・・この曲。
そっかぁ、スピーチバルーンって、吹き出しのことだったんだ。

ももと暮らすきっかけになったシンくんとyukiさんのホームページ、ぐっさんの大好きな「黒柴シンとの暮らし」。
そのyukiさんのブログにこんな記事がありました。ここを覗いてくださっている誰かやお友達にも是非読んでいただきたくて・・・とても幸せなワンコのお話です^^

「みんなのワンコ」- yuki景色 –

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我が街から眺めた世紀の天体ショーは、こんな感じ。ももハハががんばって撮った金環日食の写真を拝借してのご報告です。
朝からすっかり曇っていたので、だめだねぇーと言いながらアパートの前の公園で晴れ間を待っていたら、雲間からこそっと顔を出したお日さまは、なんとこんな幻想的なお姿でした!曇り空は残念でしたが、逆に日食グラスを使わず、こんな光景をそれこそ肉眼で見れたんだから実はラッキーだったのかもです。ほんと神秘的で、感動的でした・・・。
追伸。なんと、これが百々の木ブログの1000個目の記事でしたぁ。筆無精の僕ですから、我ながらよく続いたなぁ・・・と正直な驚きです^^;

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前略 フランクロイドライトさま
Fallingwater。実際に見て、触れてみたくなりました。

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気がつくと、写真を撮った後の落水荘の隣で、朝の模様見に余念のないももでした。

つい数日前にスイスで始まった「ダボス会議」の東日本大震災についての会合の中で、俳優の渡辺謙さんがされたスピーチを東京新聞(TOKYO WEB)のサイトで拝見しました。震災以来、ずっと思い続けてきた「幸せの形」についてや「足るを知る」という生き方。それらのことについて、とても端的な言葉で語られているスピーチに感銘を受けました。
ここに寄って頂けているみなさんにもどうしてもご紹介したくて、失礼やお叱りがあるであろうことも承知でそのスピーチの全文を転載させていただこうと思います。

 初めまして、俳優をしております渡辺謙と申します。
 まず、昨年の大震災の折に、多くのサポート、メッセージをいただいたこと、本当にありがとうございます。皆さんからの力を私たちの勇気に変えて前に進んで行こうと思っています。
 私はさまざまな作品の「役」を通して、これまでいろんな時代を生きて来ました。日本の1000年前の貴族、500年前の武将、そして数々の侍たち。さらには近代の軍人や一般の町人たちも。その時代にはその時代の価値観があり、人々の生き方も変化してきました。役を作るために日本の歴史を学ぶことで、さまざまなことを知りました。ただ、時にはインカ帝国の最後の皇帝アタワルパと言う役もありましたが…。
 その中で、私がもっとも好きな時代が明治です。19世紀末の日本。そう、映画「ラストサムライ」の時代です。260年という長きにわたって国を閉じ、外国との接触を避けて来た日本が、国を開いたころの話です。そのころの日本は貧しかった。封建主義が人々を支配し、民主主義などというものは皆目存在しませんでした。人々は圧政や貧困に苦しみ生きていた。私は教科書でそう教わりました。
 しかし、当時日本を訪れた外国の宣教師たちが書いた文章にはこう書いてあります。人々はすべからく貧しく、汚れた着物を着、家もみすぼらしい。しかし皆笑顔が絶えず、子供は楽しく走り回り、老人は皆に見守られながら暮らしている。世界中でこんなに幸福に満ちあふれた国は見たことがないと。
 それから日本にはさまざまなことが起こりました。長い戦争の果てに、荒れ果てた焦土から新しい日本を築く時代に移りました。
 私は「戦後はもう終わった」と叫ばれていたころ、1959年に農村で、教師の次男坊として産まれました。まだ蒸気機関車が走り、学校の後は山や川で遊ぶ暮らしでした。冬は雪に閉じ込められ、決して豊かな暮らしではなかった気がします。しかし私が俳優と言う仕事を始めたころから、今までの三十年あまり、社会は激変しました。携帯電話、インターネット、本当に子供のころのSF小説のような暮らしが当たり前のようにできるようになりました。物質的な豊かさは飽和状態になって来ました。文明は僕たちの想像をも超えてしまったのです。そして映画は飛び出すようにもなってしまったのです。
 そんな時代に、私たちは大地震を経験したのです。それまで美しく多くの幸を恵んでくれた海は、多くの命を飲み込み、生活のすべてを流し去ってしまいました。電気は途絶え、携帯電話やインターネットもつながらず、人は行き場を失いました。そこに何が残っていたか。何も持たない人間でした。しかし人が人を救い、支え、寄り添う行為がありました。それはどんな世代や職業や地位の違いも必要なかったのです。それは私たちが持っていた「絆」という文化だったのです。
 「絆」、漢字では半分の糸と書きます。半分の糸がどこかの誰かとつながっているという意味です。困っている人がいれば助ける。おなかがすいている人がいれば分け合う。人として当たり前の行為です。そこにはそれまでの歴史や国境すら存在しませんでした。多くの外国から支援者がやって来てくれました。絆は世界ともつながっていたのです。人と人が運命的で強く、でもさりげなくつながって行く「絆」は、すべてが流されてしまった荒野に残された光だったのです。
 いま日本は、少しずつ震災や津波の傷を癒やし、その「絆」を頼りに前進しようともがいています。
 国は栄えて行くべきだ、経済や文明は発展していくべきだ、人は進化して行くべきだ。私たちはそうして前へ前へ進み、上を見上げて来ました。しかし度を超えた成長は無理を呼びます。日本には「足るを知る」という言葉があります。自分に必要な物を知っていると言う意味です。人間が一人生きて行く為の物質はそんなに多くないはずです。こんなに電気に頼らなくても人間は生きて行けるはずです。「原子力」という、人間が最後までコントロールできない物質に頼って生きて行く恐怖を味わった今、再生エネルギーに大きく舵を取らなければ、子供たちに未来を手渡すことはかなわないと感じています。
 私たちはもっとシンプルでつつましい、新しい「幸福」というものを創造する力があると信じています。がれきの荒野を見た私たちだからこそ、今までと違う「新しい日本」を作りたいと切に願っているのです。今あるものを捨て、今までやって来たことを変えるのは大きな痛みと勇気が必要です。しかし、今やらなければ未来は見えて来ません。心から笑いながら、支え合いながら生きて行く日本を、皆さまにお見せできるよう努力しようと思っています。
そしてこの「絆」を世界の皆さまともつないで行きたいと思っています。

「kizuna311」

002.jpg職場の前、道路をはさんで向かいにあるバン屋さんにミニチュアダックスフンドの力(りき)くんがお店番をしています。
それはもうとっても人なつっこくて、愛嬌満点で、まさに看板犬の極み。なにせ、彼がいるだけでぐっさんは足しげくお店に通っているわけですから。

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駅に降りてから職場まで、コンビニやお店はたくさんあるけれど、ちゃんと寄り道も浮気もせずにたどり着いて、りきくんのところでお茶を買ってから出社するのが近頃のルーチンなのです。

仕事からの帰り道、近頃、空を見上げると星がきれいだなぁーって思う。東京に来てそう感じたことはさっぱり無かったから、ちょっとした発見。そうなんだねぇ、街が暗くなったからなんだ・・・。事情を思えば複雑な気持ちがするけれど、ふと見上げた空がきれいな星空なら、それはそれでうれしいのかもしれない。今は、いろんな人たちが、いろんな人たちのために、星に願いをきいてもらいたいはずだし・・・。

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震災後10日が経ちました。被災地への救援活動もままならない状態だし、福島の原発事故もいまだ予断を許さない状況です。電気は、計画停電という誰も経験したことのない事態になり、街は、液状化で湧き出した泥が風に煽られ粉塵になって荒涼とした景色です。
そんな中、街から食べ物が消え、ガソリン、乾電池、水、トイレットペーパー、色んなものがなくなりました。
僕らは、いったい何を求めてここに辿り着いて、何を守ろうとしているのか・・・守るべきは命であって、取り戻すのは生活であって、つまらない便利さやむやみな欲求ではないはずなのに。
そう思って、学生の頃に読んだ浜野安宏さんの本を余震の続く震災直後のこの連休にもう一度読み返してみました。便利さをただ闇雲に求め、消費のための生産を際限なく繰り返す現代の消費経済、社会に対する警鐘に、もしかするともう30年ちかく前からの提議に、あえてもう一度思いあたろうと思って。本当に自分に必要なものは何なのか、自分にとっての豊かさの本質は何なのか、必要以上に便利さを求めてはいないか、自分が欲する上限を考えたことがあるか、そんなことをもう一度きちんと今、思い直してみたいと思っています。

家の中にいるときは、どこいった?なんてことがほとんどだったももだけれど、震災以来、そばにいることが増えた気がします。頼られているのは、何となく嬉しかったりもするけれど、もも、どこいった?ってくらいがやっぱりいいかなぁーって・・・思います。

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恥ずかしそうに少し下を向いて花をつけたわびすけ。そう、もうすぐ冬がやってきます。

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今日は、神戸、大阪、京都と、どこかの旧国有鉄道の観光キャンペーンを地でいくような三都移動計画。といってもまったくのお仕事なので情緒も何もあったものじゃないのですけどねぇ^^;
そんな中、我が家では、ひっそりと小さなイベントがあったようです。ベランダの鉢植えのサボテンがりっぱな白い花を咲かせました。

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去年に採った種から育てたホーリーバジルもこんなきれいな花を咲かせています。この子の姉妹たちは、いろんな場所に縁をつなげて、またそれぞれの場所で育っています。もものお気に入りのいろどりやさんの店先だったり、飛騨の里山でももの大好きな天然酵母パンをつくってらっしゃるもりのにわさんの畑だったり。

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そんなベランダで、梅雨が明けてからすっかりお天気が続いたこともあって、ももハハがつくる自家製の梅干しもいよいよ仕上がってきた様子。
こんなふうにお日様をいっぱいに浴びて、花も実もいのちを育んで行くのです。

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