月別アーカイブ: 2012年1月

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耳の後ろがかゆいときは、こんな風に自分で掻けるけど、自分で掻けないあばらのあたりは、後ろ足がくるくる空回りする。そう言うとき、「いいよ、掻いたげるよー」って言うと、いそいそとやってくるもも。掻いてもらってるときも、やっぱり後ろ足がくるくる空回りなのです(笑)

百々⋅ 6歳6ヶ月9日

つい数日前にスイスで始まった「ダボス会議」の東日本大震災についての会合の中で、俳優の渡辺謙さんがされたスピーチを東京新聞(TOKYO WEB)のサイトで拝見しました。震災以来、ずっと思い続けてきた「幸せの形」についてや「足るを知る」という生き方。それらのことについて、とても端的な言葉で語られているスピーチに感銘を受けました。
ここに寄って頂けているみなさんにもどうしてもご紹介したくて、失礼やお叱りがあるであろうことも承知でそのスピーチの全文を転載させていただこうと思います。

 初めまして、俳優をしております渡辺謙と申します。
 まず、昨年の大震災の折に、多くのサポート、メッセージをいただいたこと、本当にありがとうございます。皆さんからの力を私たちの勇気に変えて前に進んで行こうと思っています。
 私はさまざまな作品の「役」を通して、これまでいろんな時代を生きて来ました。日本の1000年前の貴族、500年前の武将、そして数々の侍たち。さらには近代の軍人や一般の町人たちも。その時代にはその時代の価値観があり、人々の生き方も変化してきました。役を作るために日本の歴史を学ぶことで、さまざまなことを知りました。ただ、時にはインカ帝国の最後の皇帝アタワルパと言う役もありましたが…。
 その中で、私がもっとも好きな時代が明治です。19世紀末の日本。そう、映画「ラストサムライ」の時代です。260年という長きにわたって国を閉じ、外国との接触を避けて来た日本が、国を開いたころの話です。そのころの日本は貧しかった。封建主義が人々を支配し、民主主義などというものは皆目存在しませんでした。人々は圧政や貧困に苦しみ生きていた。私は教科書でそう教わりました。
 しかし、当時日本を訪れた外国の宣教師たちが書いた文章にはこう書いてあります。人々はすべからく貧しく、汚れた着物を着、家もみすぼらしい。しかし皆笑顔が絶えず、子供は楽しく走り回り、老人は皆に見守られながら暮らしている。世界中でこんなに幸福に満ちあふれた国は見たことがないと。
 それから日本にはさまざまなことが起こりました。長い戦争の果てに、荒れ果てた焦土から新しい日本を築く時代に移りました。
 私は「戦後はもう終わった」と叫ばれていたころ、1959年に農村で、教師の次男坊として産まれました。まだ蒸気機関車が走り、学校の後は山や川で遊ぶ暮らしでした。冬は雪に閉じ込められ、決して豊かな暮らしではなかった気がします。しかし私が俳優と言う仕事を始めたころから、今までの三十年あまり、社会は激変しました。携帯電話、インターネット、本当に子供のころのSF小説のような暮らしが当たり前のようにできるようになりました。物質的な豊かさは飽和状態になって来ました。文明は僕たちの想像をも超えてしまったのです。そして映画は飛び出すようにもなってしまったのです。
 そんな時代に、私たちは大地震を経験したのです。それまで美しく多くの幸を恵んでくれた海は、多くの命を飲み込み、生活のすべてを流し去ってしまいました。電気は途絶え、携帯電話やインターネットもつながらず、人は行き場を失いました。そこに何が残っていたか。何も持たない人間でした。しかし人が人を救い、支え、寄り添う行為がありました。それはどんな世代や職業や地位の違いも必要なかったのです。それは私たちが持っていた「絆」という文化だったのです。
 「絆」、漢字では半分の糸と書きます。半分の糸がどこかの誰かとつながっているという意味です。困っている人がいれば助ける。おなかがすいている人がいれば分け合う。人として当たり前の行為です。そこにはそれまでの歴史や国境すら存在しませんでした。多くの外国から支援者がやって来てくれました。絆は世界ともつながっていたのです。人と人が運命的で強く、でもさりげなくつながって行く「絆」は、すべてが流されてしまった荒野に残された光だったのです。
 いま日本は、少しずつ震災や津波の傷を癒やし、その「絆」を頼りに前進しようともがいています。
 国は栄えて行くべきだ、経済や文明は発展していくべきだ、人は進化して行くべきだ。私たちはそうして前へ前へ進み、上を見上げて来ました。しかし度を超えた成長は無理を呼びます。日本には「足るを知る」という言葉があります。自分に必要な物を知っていると言う意味です。人間が一人生きて行く為の物質はそんなに多くないはずです。こんなに電気に頼らなくても人間は生きて行けるはずです。「原子力」という、人間が最後までコントロールできない物質に頼って生きて行く恐怖を味わった今、再生エネルギーに大きく舵を取らなければ、子供たちに未来を手渡すことはかなわないと感じています。
 私たちはもっとシンプルでつつましい、新しい「幸福」というものを創造する力があると信じています。がれきの荒野を見た私たちだからこそ、今までと違う「新しい日本」を作りたいと切に願っているのです。今あるものを捨て、今までやって来たことを変えるのは大きな痛みと勇気が必要です。しかし、今やらなければ未来は見えて来ません。心から笑いながら、支え合いながら生きて行く日本を、皆さまにお見せできるよう努力しようと思っています。
そしてこの「絆」を世界の皆さまともつないで行きたいと思っています。

「kizuna311」

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目は口ほどにものを言う。
もう長い付き合いだし、大袈裟な所作もせず、近ごろは目で訴える。嬉しい、不思議、拗ねる、怒る、欲しい、まだ?、怖い、迷惑、つまらない、などなど。
こうして指を折ってみると、結構語るよねぇーももさん・・・。

百々⋅ 6歳6ヶ月4日

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白いところがより白くなって帰ってまいりました。
はいっ!本日、月に一度の入浴日、つまり実家でのシャンプーの日です。
水にぬれるのは大嫌いだから当然シャンプーは苦手なももさん。それでも大好きな人に会えるから頑張ってしまう。

百々⋅ 6歳5ヶ月26日

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いまだにかまってほしいと、あれこれと工夫していたずらばかりするやつ。
こらぁーっ!と嗜めるつもりが、まんまと術中にはまってこんなふう。結局、こっちが遊ばれてる気がするなぁー(笑)

百々⋅ 6歳5ヶ月26日

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ベランダの排水溝の流れが悪いから、左官屋のお兄さんが補修にやってきました。

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きにくわなくてフンフン言うから、鼻息でガラスが曇ってるし(笑) ほんと、大人げないなぁ。

百々⋅ 6歳5ヶ月25日

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今年に入って、初めてシーザーくんと会えた朝です。シーザーくんパパさんが、たぁーくさん撮ってくださった写真の中で、唯一二人の顔がちゃんと写ってるのがこれ。

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ももは、カメラを向けるとなぜかよそを向いてしまうのだけれど、シーザーくんは、カメラを向けるとどこかへ行ってしまいました・・・(笑)

百々⋅ 6歳5ヶ月24日

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神田まで仕事の用事で出かけた帰りに、日本橋のヒナタノオトさんのところへももと一緒に寄せてもらいました。
新年のご挨拶をして、あったかい白玉汁粉を頂いてほっこり。

shiruko240.jpgそう言えば善哉と汁粉はどう違うんだろうか?関西出身のぐっさんには「しるこ」というボキャブラリは無かったから、きっと「ぜんざい」が関西の食べ物なのかと。それに「ぜんざい」と聞くと「夫婦善哉」「法善寺横町」と、するっと連想してしまうのもぐっさんが大阪のおっさん故です。もしかすると味も作り方も違うものなのかもしれないけれど、今日頂いた白玉汁粉は、とても懐かしい味だったから、やっぱり白玉善哉に違いないと勝手に思ってみたり(笑)

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IMG_2006.jpgそんなことで、由緒正しき東京の下町、日本橋小舟町でぜんざいを頂きながら、ゆったりとした休日の時間を過ごさせていただきました。ももがゆったり過ごせる場所は、僕らもゆったりできるところなのです。

百々⋅ 6歳5ヶ月20日

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ようやく体調も戻ってきたので、散歩途中によく寄せてもらうご近所のカフェでももと一緒に久しぶりの外ランチ。

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カフェのお姉さんは、とてももものことを可愛がってくださるので、ももも新年のご挨拶。かたがた、テーブル下でおこぼれを待つももでございます。

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そして締めくくりは、もっと久しぶりの海。今年のももさんの抱負「ドラムおじさんの恐怖を克服」は、少しずつ前進中です。
さて、正月気分もようやく抜けてきて、いつものはじまりです。

百々⋅ 6歳5ヶ月18日

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あけましておめでとうござます。
今年のお正月は、年末からの風邪がひどくて文字通り寝正月です。
一年の計は元旦にあり・・・だとすると前途多難かも・・・(笑)
ともあれ、三箇日は、まさしく日本晴れだし、良しです。
窓際の日だまりでうたた寝するももを見ながら、優しい気持ちがする穏やかなお正月です。

百々⋅ 6歳5ヶ月14日
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